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【虚構世界内存在の】理性・真理・虚構【思惟の道】

9 :虚構世界内存在 ◆vWilh8Qklc :2007/01/02(火) 07:07:08 ID:XXsYpbQD
>>8の続き

こうしたことから根源への問いの重要性が理解される。
根源への問いは対立する両者に等しく自らを絶対評価することを要求するので、根源への問いによって消滅させられずに残ったほうが絶対に正しいということになる〔正当化することができる〕のである。
むろん、両者ともに敗れ去ることも十分に考えられるが、その場合、「〜という信念または命題が正しいということを正当化することはできない」という結論
(たとえば、右翼と左翼の対立について言えば、「右翼的考えは正しいという信念が正しいということを正当化することはできない」、ならびに「左翼的考えは正しいという信念が正しいということを正当化することはできない」となる)が得られることになり、
そうであればいずれの信念を持つか、あるいはどちらの信念も放棄するか(右翼と左翼以外の立場もあるので、判断停止には陥らない)ということについては、各人の感覚や感情に依拠するほかなくなるのである。
すなわち、理論が絶対主義であるがゆえに、実践においては相対主義にならざるを得ない、もっと言うならば原理的には決着がつかないのである(理論の段階で相対主義を採用している一般相対主義と混同してはならない)。

なお、根源への問いの結果、対立する2つの立場のいずれもが正当化されないという結論が得られた場合、判断停止に陥るのではないか思われるかもしれないが、それはない。
というのは、たとえ対立する2つの立場以外の立場がない場合であったとしても、
対立する2つの立場のいずれもが正当化されないということが意味するのは、答えがない(真偽が判明しないということではない)ということであって、信念を捨て去らなければならないということではないためである。
たとえば、「太陽は明日も昇る」という信念が正しいということを正当化することができないとしても、誤っているということを正当化することができない限りにおいて、「太陽は明日も昇る」という信念を保持することは矛盾ではない(反対に捨て去ってもよい)。
究極的に言って、あらゆる信念や命題が正しいということ、ならびに誤っているということを正当化することができないということが分かれば、どのような信念を持つことも(それを正当化しない限りにおいて)各人に委ねられるのである。

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